風呂に入るのが面倒くさい話

日本人の皆さんにとっては当たり前の毎日風呂に入ると言う行為、海外勢にとっては非常に珍しい生活習慣だったりもします。みんなシャワーは浴びるけれども風呂には入らない。汗は流し落とすけど体を温めたりはしない。風呂に入ると言う行為が当たり前ではない国もあります。むしろそっちの方が多い。
で、オレも実は最近あまり風呂に入っていません。さっとシャワーを浴びるかもう完全に無視してそのままでいる。冬なので汗をかかないし風呂に入って温まるのが面倒に感じる今日このごろです。


服を脱いで温水につかり体を温めたり垢を落としたり髪を洗ったりするのはひと手間です。風呂から上がって体を丁寧に拭いて水気を切り、新しい下着を身につけるのは考えてみると当たり前のようで当たり前ではない。一日の生活の中での一大イベントです。清潔なのが好きな日本人にとってはリラックス出来る大事な儀式でも有る入浴。オレは面倒くさいと感じます。特に冬場は皮膚の脂質を全て落としてしまうとお肌が潤わない。乾燥して痒くなる。風呂に入り上がって体を拭いた後、ローションやクリームを塗って潤いを取り戻すのですが、手間。リフレッシングになるのはなるけど、毎日それを繰り返すのは手間の無駄、風呂に入らずたまに垢をタオルで落とすくらいで丁度いいと今の自分は考えていたりもします。
最近は生活の中での色々な事が面倒くさいと感じる事が多くなりました。飯を食うのさえ面倒くさい。料理なんか手間すぎて凝ったり出来ない。空腹を我慢スルーする方がいちいち食事の準備をして食べて片付けて食器を洗って水気を拭いて食器棚に戻すより随分と楽です。
個人的な風呂の楽しみ方として風呂の中でタバコを吸う、風呂に入りつつアイスクリームを食べる、ジップロックの袋に入れたiPhoneでTwitter等を見つつゆっくりと温まる等をしてきましたが、今となっては何もかもが面倒くさかった。どうしてそんなに手間をかけてまで風呂に入るのが意味がわからない。けどそれを言い出すと不潔だと嫌われてしまうので人前では口に出来ない。コロナ禍で人と会うチャンスが少ない今、入浴と言う行為は自己満足でしかない。人間風呂になんか入らなくても生きてゆける。風呂でゆっくりする時間をベッドの中に居る事に割り当てたい。などと風呂に入る時間を毎日他のことに費やすと、生活にゆとりが出来たり、新しい事を勉強したりネットで検索して知識を増やしたりと一日あたり30分間(個人によって差あり)の余裕ができたりもします。


その辺で荒っぽくまとめると、生きているのが面倒くさい。けど死ぬのも手間だしまだ人生で経験したことのない楽しみが待っていそうなのでもうちょっと生きていたい。新しく出るゲームや次々とリリースされる音楽が楽しみすぎて明日がまちどおしい。Subpacの新型が届くまでは死ねない。などと欲を出せば永遠に生きていたい。老化を経験したくない。若い時の体と若い時の頭で死ぬまで居たい。ハゲたくない。エトセトラエトセトラと言う具合に、まぁ人間生きていたほうが死んで無になるより楽しい事が多そうだと思えるようにもなってくる訳です。
昔は自殺願望もありリストカットをしたことも有ります。けどもうその頃の勢いは無く、死へと疾走する元気もなく、人生の余白部分をのんびり生きている毎日だったりもします。結婚もしていませんし子供もいません。恋人と結婚して人生を共に生きる人生を想像してみても、自分の親の事が頭にチラついて決断にするまでには至らなかった人間の生活がここにあります。ふと我に返って考えてみたりすると、残りの人生約30年をどう生き抜くかと言う壮大なテーマが横たわっていたり、これからは老化してゆくのでそれとどう折り合いをつけて人生を過ごすか等、課題も多いです。


また頭の隅っこではアメリカに行ってカルフォルニアで思う存分マリファナを吸いたい。ケツから煙が出るくらいキメて高まった状態で日々を過ごしてみたい。Wake & Bake(朝起きてすぐ一発目を吸う)の高まった状態で音楽を経験したい。ゲームも高まった状態でやってみたい等など、脱線しまくってそういう人生を過ごしてみたいとも思ったりもしています。
国外旅行についても若い頃は色々と海外に行って楽しんだりもしました。トルコのカッパドキアで食中毒になり、観光出来ないままトイレで便器を抱えたままグッタリしていたり、そのホテルで手伝いをしている少年がわざわざ朝食を届けてくれ、心配してくれて大感動したり、フランスでは食事に行った時にウェイターが誰もワインを注いてくれなくてアジア人に対する差別だ!とキレたりもしました。タイではガンチャーミーマイカッ(大麻はありますか)?とトゥクトゥクの兄ちゃんに聞いて回り、「有る」と言われてその後6時間も待たされ、チェンライの高速にあるドライブインでビールを一緒に飲んで日暮れを待ち、夜になってやっと住宅街の片隅でブツを手に入れ、用意してくれた竹の長いボングで一緒に吸ってブリブリになり高速を飛ばしまくった後ホテルまで送ってもらったり、トルコのボスポラス海峡クルーズの船に乗り濃い青の海と連なる美しい街並みに感動したり、海峡のはしっこの丘に降り立ち、VWカルマンギアのタクシーに乗って眺めの良い場所まで200メートルだけ運んでもらったり、船の上で売るサバサンドを堪能したり、フェリーに乗って行き着いた反対側の港にある本屋のオジサンに声をかけらててチャイをご馳走になりつつ「江戸シティとは何だ?」と言うクールな質問に不慣れな英語で答えたりと、旅も色々堪能しました。


結局何が言いたいかと言うと、中身のある話は出来ないけれどもそれでも生きていたい。昔の思い出を語ったりしつつその時々の自分を思い出してみたい。黙っているけれど話は聞いていたい。などなど、諸行無常だなぁと感じたりしている現在です。filcoのキーボードが良いのでそれを使って何か文章を書きたい欲もあります。日々の小さな面倒くさい事をスルーし、小さな好きなことをこなしてゆくことで生活の質が上がります。大事な時間をわざと無意味なことに費やす意味も、目が覚めて布団の中で過ごすゆっくり時間も、全てが現実にリアルタイムで起こっている人生の一部です。つらつらと書きたいことを書き連ね、最終的にまとめが出来ない状態ですが、Done is better than perfectの精神でこのままBlogに載せます。
面倒な事は出来るだけ避けつつ、ストレスを最小限にした生活を送り、総合的に考えて質の良い人生を送る事、それが今大きな視点で一番考えている事だったりもします。
以上。

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